「人生は一度きり。

 思い切って“ホンモノ”を

  我が家に迎えたい。」

絨毯は本当に必要なのか——そう問われれば、
もしかしたら“生活必需品ではないもの”の部類に入るのかもしれません。

ただ、私が大学時代に心を揺さぶられた言葉があります。
上智大学で水谷先生の講義を受けた際、
若き水谷先生に諭すように神父が伝えた言葉

「人は、パンと水だけでは生きていけないのだよ。」

店主である私の絨毯ビジネスも、
“必要なものか?”と尋ねられれば、
きっと違うのかもしれません。

ただ、美しいものを自分の世界に迎え入れるという行為は
「自分らしさの欠片」をそっと大切にすることだと思うのです

限られた時間の中で “自分の物語” を大切にしたくて。
日々の感動をしっかりと胸に刻みながら生きたくて。
だから人は、一枚の絨毯を迎えるのだと
店主は想うのです。

——人は、パンと水だけでは生きていけないのです。

あなたの人生のどこかの大切な節目で、
大切な人へのサプライズの記念日に。
家族との愛おしい休日の足元に。
あるいは「終の住処に選びたい最上品」として。

そのどれか一つでも、
皆様の人生の物語に寄り添うことができたなら、
MBTIが主人公の店主として
これほど嬉しいことはありません。

店主・世志子




【ペルシャ絨毯とは?】

ペルシャ絨毯とは、イランでつくられた手織り絨毯の総称のことです。
その中には、遊牧民が織る素朴なギャッベ(GABBEH)や、部族ごとに模様や色づかいが異なるトライバルラグ(Tribal Rug)、工房で織られイランの地名がつけられる絨毯など、本当に多岐にわたります。

共通しているのは、いずれも手結び(ハンドノット)によって1発勝負で織り上げられるという点。目を間違えても編み直しができないからこそ、一つひとつの結び目が積み重なっていくことで、丈夫さ、温かみ、そして唯一無二の“表情”が生まれます。

イランの各地域や部族によって、使う糸、色、モチーフ、織りの細かさが異なり、その違いが絨毯の個性と価値をつくり出しています。

同じものが二つと存在しない、世界に一枚だけの芸術品
それが、ペルシャ絨毯です。


 

【日本とイランの絨毯の

向き合い方の違い】

私がイランで絨毯を見るたびに痛感するのが、
「日本とイランの“絨毯との向き合い方”はまったくの別物だということ。」
でも、根底にある大切な想いは不思議と同じ。

イランの家では、絨毯は“家具”ではなく 「暮らしの中心」 です。

家族が集まり、お茶を飲み、お祈りをし、子どもが昼寝をし、友人が語り合う。
そのすべての時間が、絨毯の上で積み重なっていきます。

だからイランの人々にとって絨毯は、“敷くもの”ではなく 「家の時間そのもの」

絨毯への信頼もものすごく厚く、時には扱いが少し雑に見えることもあるのですが、
彼らは笑って「大丈夫だよ!」と言います。それくらい、どれだけ丈夫なのか、どれだけ暮らしを支えるかを知っているのです。

一方、日本は畳の文化。
絨毯をリビングに置いている家庭でも、「汚さないように…!」と大切に大切に使う方が多い。それはそれでとても素晴らしい!家族との時間を、できるだけ丁寧に暮らしたいという気持ちの表れだから。

ちなみに我が家では、息子が小さい頃に絨毯の上で‘’うんち事件‘’を起こして、大慌てしたことも、今では良い思い出です。笑

絨毯の上で繰り広げられる愛おしい日々は、家族の記憶として積み重なり、その絨毯をさらに愛おしい存在に。

自然光で色が変わる奥行き。

家の空気がガラっと変わる。

座る時間の居心地が変わる。

そして何より——

限りある日々の中に

“自分を大切にする時間”が、確かに増えていく。

文化が違えば、絨毯に求めるものも変わる。だからこそ私は、イランの価値観だけではなく——

“日本の暮らしに本当に合う一枚” を探して、お客様のもとへお届けしたいのです。

 

↑台所に絨毯と洗濯機

 

↑本日料理するお肉も絨毯の上、ダイニングテーブルがありません


↑こうやって絨毯の上で敷物を敷いてご飯を食べます!絨毯との距離がやっぱり近い!


【絨毯が暮らしにもたらす変化】


私が絨毯を愛してやまない理由があります。

絨毯は、家の空気を変える。
そして、暮らしの“質”そのものを変えてくれる。

「家に帰った瞬間、ふっと肩の力が抜ける場所ができた」

「朝、絨毯の色を眺めるだけで“今日を大切に生きよう”と思える」

「足元のぬくもりが、年々敏感になる身体を優しく包んでくれる」

「家にいる時間が増えるほど、自分を大切にできている気がする」

「自分が選んだ“本物”がそこにあるだけで、誇らしい気持ちになる」

“派手なもの”でも“流行り”でもなく、
自分の人生に馴染む、落ち着いた上質さ を自然と求めるようになります。

絨毯はただ敷くだけなのに、家の温度も、気持ちのリズムも、まるでゆっくり深呼吸したかのように整えてくれる。

私はこの“静かな変化”こそが、本物の絨毯の力だと思っています。

美しいものを迎えるという行為は、
自分の人生を大切に扱いたいという、
成熟した大人だけが持つ感性です。

これから先の人生は、
“自分が笑顔になれるもの”に囲まれて暮らしたい。

絨毯は、その願いを叶える小さな贅沢であり、静かに寄り添うパートナーのような存在です。

 

↑生命の樹は「長寿」を願って織られるモチーフです。絨毯の文様にはそれぞれ意味や祈りが込められていると言われますが、この一枚は樹をモチーフにしながらも可憐な花が咲いています。織り手が「春の訪れ」をそっと知らせてくれているよう。絨毯はアートのように、自分だけの解釈を味わえるのも魅力のひとつ。見る人の数だけ物語が生まれる…そんな奥行きを感じさせてくれます。

【イランに飛んでみると】

イランに行けば素敵なペルシャ絨毯がたくさん手に入る——
多くの方がそう思っているかもしれませんが、実はこれは大きな誤解!!!!

日本人が好きな欲しい絨毯は本当に一握りなのです。

現地のバザールは迷路のように広く、提携店同士の“お得意先コミュニティ”があるため、
キリムならこの店、ギャッベならこの店…というように、基本は決まった店を巡る買い付けスタイル。これは日本でもそうですがイラン人はこの意識がとことん強い!

そのバザールでお店を巡りに巡りますが、
「本当に欲しい」と思える絨毯はほんとーにわずか

絨毯のタワーを上から下まで何百枚見ても、無い無い無い!笑

日本のお客様からもイラン人のお店に行くと「大量に見たのに、欲しいものが1枚もなかった」というお声をいただきます。

その理由のひとつが、イラン人と日本人の価値観の違いです。
イラン人はデザインよりも“織りの美しさ”を重視するため、
「日本の暮らしでは絶対使いにくいでしょ…」という絨毯を、真剣におすすめされることも、、、。あと、リクエストをしても、無いのを隠すために違う絨毯を見せてくるもあるある、笑

さらにイラン人のお店では“本屋の委託販売”のように、大量に絨毯を仕入れて、売れたらお金を返す方式を取っている店も多く、量は膨大でも目利きがしっかり入っていないケースもあります。

だからこそ私は、大量仕入れではなく、少数精鋭の「選び抜く」買い付けをしています。

絨毯は家に何百枚も敷くものではないしお客様の家に迎えられるのは、せいぜい数枚。

紅茶だって、200種類の店より、5種類だけ厳選した店の方が選びやすい!
紅茶の200種類だって悩むのに、ましてや大量の絨毯を見せられても、汗。

イランの買い付けの時に、イラン人セラーから
「お前は本当に絨毯を買わないな!」笑 

っと笑いながら言われましたが、

実は誇りに思っている言葉でもあります。それくらい真剣に大切に買い付けをしている。
“お客様のために、お客様の顔が浮かぶ、買い付けをする絨毯屋です。

 

↑何百枚とみる作業はまるで宝さがし この光景がどこまでも続きます

【NARUTREE no 想い】

ペルシャ絨毯しかり、ブロックプリントも「美しい」だけでなく、
私にとっては「励まされる」存在でした。

お店がうまくいかない日々、焦る日々。
何度も泣いて、何度ももがいて、
それでも自分を諦めきれずに立ちあがってきた日々。
(昨年本当に閉めようとしました、でもどーしても諦めきれなかった!)

どんな日も、立ち上がってきた私の人生の側には、
必ず “寄り添うもの -エール-” がありました。

遠い国で、家族の時間を支えてきたペルシャ絨毯。
その温もりと手仕事の跡は、
日々を真剣に向き合ってきた証だと思います。
人の力強さに、姿勢の美しさに私は励まされています。

NARUTREEは、ただ美しいものを届けるお店ではなく、
あなたの毎日にそっと灯る “エール” を贈る場所でありたい。

限られた時間の中で、この一枚が、

「思い切ってホンモノを迎えてよかった」
感じていただけたなら——

あなたが芯から鮮やかに生きられるための
店主からの最大のエールとなることを心より願っています。

 

↑千葉県市川市にあるアトリエ

アトリエはめったに開かないですが毎週金曜日お昼に面白&元気になるインスタグラムライブをここからお届けしてます♪みんなインスタフォローして待っててね♪ →INSTAGRUM LIVE

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